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GoogleやFacebookなどの天才を生み出したモンテッソーリ教育を知る 第3章

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amazonもモンテッソーリ教育から生まれた

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36歳になったマリアは障害のない子供達の学校をローマのサンロレンツォという場所に作りました。ここは貧しい人たちが暮らすスラム街でした。

この「子供の家」と呼ばれる施設でマリアは人形などのおもちゃを沢山準備しました。

しかしマリアの想像とは違い、子供たちは穴に入った10本の円柱を出し入れしたり、大きさの違う積み木を何度も何度も並べて真剣に遊んでいました。
マリアは大人が何か決めつけて楽しいだろうなという教具を使うのではなく、子どもが手を使って真剣に学べるものを準備したのです。

子供たちを預けていた保護者たちは子供たちの変化に驚きました。
「あんなにワンパクで乱暴だったうちの子がお花を育てるようになったんです。」
「全然話そうとしなかったうちの子がお友だちと仲良く話ししているわ」

この「子供の家」はイタリアだけではなく他の国でも有名になりました。

「なぜこの子達はとても礼儀正しく優秀なのですか?」という質問にマリアは答えます。

「ここには子供たちの成長を邪魔するものが何もないのです。だから子供たちがイキイキとしているのですよ」


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例えば子どもが算数を学ぶとき、先生が子供に教える。当時はそれが世界の常識でした。
※現在もそうかもしれませんが・・・

しかし「子供の家」の学習方法は違いました。ここでは道具や教具を覚えたこどもが自分で算数を学びます。絵や音楽も同様に自分で表現して感じます。

この学習方法は世界の多くの学者を驚かせました。

日本でも1912年にニュースとして紹介されたんですよ。

マリアの「子供の家」はマリアの苗字からモンテッソーリ教育と呼ばれイタリアだけでなく
世界中で学校が作られ始めました。

そして世界中で学ばれるモンテッソーリ教育を統括する協会が生まれます。
その初代会長はなんと電話を発明したグラハム・ベルが行ったのです。


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モンテッソーリ教育が世界に広がる中に「第一次世界大戦」が始まりました。

マリアは当時50歳。世界中にモンテッソーリ教育が広がる中、イタリアの新首相であるベニート・ムッソリーニ首相と会い、首相の助けを受けてモンテッソーリ教育を国内で広げました。

しかしムッソリーニ首相は国中の人が意見を述べれない独裁政治を始めました。そしてマリアとの意見の対立も増え始め、怒ったムッソリーニ首相は国中の子供の家を閉鎖させました。

その当時に通っていた有名な少女が「アンネ・フランク」です。

当時の逸話が残っています。アンネは自宅近くのモンテッソーリスクールに通いますが、お姉さんのマルゴットは普通の学校に通います。
アンネはおしゃべりが大好きで落ち着いて座っている事が苦手だったようです。モンテッソーリではおしゃべりを推奨する部分もありピッタリですね。

アンネは「子供の家」で文章を書く楽しさを自分で発見しました。
もう夢中だったのでしょう。幼少期の経験が13歳のアンネに素晴らしい作品を生み出す力を与えたのだと確信しています。


 

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「次回の内容」

マリアのモンテッソーリ教育はインドへ。そして彼女は命がけで次の世代のために学校を作ります。戦争が終わり、平和な社会となった時、彼女は未来を将来世代に託して亡くなります。

実際のモンテッソーリ教育を少し解説します。

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